超再放送「ガサラキ」

http://www.sunrisest.jp/replay/
有料会員登録しないと見れないんですが、サンライズステーションの企画「超再放送」でガサラキをやるようです。前にガオガイガーでもやっただよね。GGGの時は偉いテンション高くて楽しそうでしたが、今回は何を語るんだろう? 廉価版のDVDが再発するそうなので、その宣伝もかねてかな。
ガサラキはずいぶん前に見てて、よその日記に書いてた感想文が出てきたので、記念もかねて貼るかしら。どうもその日記サービスが今月いっぱいで終わっちゃうみたいなので。。

では、以下からどうぞ。


2009年01月16日
ラストで???となりましたが、概ね満足。面白かった!

お話は、なんだろ、嵬(カイ)と呼ばれる超人類であるユウシロウとミハルの心の交歓、彼らが前世で操っていた骨嵬(クガイ)という鎧にまつわる謎という伝奇的側面のストーリーが一本、現代の骨嵬・TAを操る特務自衛隊と日本の現状を憂う革命の志士の動向の話が一本、二つのストーリーが絡み合い、生きてるってなんだろ、生きてるってなあに、と問い続ける話、という感じでいいのかな。

人類を超えた存在が誰ぞの野望のために実験動物扱いという設定はね、ブルーソネット/柴田昌弘の頃から大好物なわけですよ。ユウシロウ君は表情に乏しい子でしたが、それでも、自分の立場を思い知って苦い顔をするたび萌え萌えしてました。(ぉぃ そんなかわいそうな子がですね、同じ立場の少女と出会う。ロマンチックやなー。ユウシロウたちは、その生態活動を呼吸ひとつに至るまで始終観察されていて。そんな、髪の毛一本すら自分の自由にならないような拘束から、少しずつ解き放たれていく感じ。「そうやって生きていくしかない」という諦めからの生還。話が進むにしたがって、無茶ばっかりながらもちょっとずつ自分の足で歩き出す彼らを、手に汗握りながら見てました。ちょっとね、ラストシーンでなんだか、妹の美鈴ちゃんに割り込まれちゃった感じがして、微妙に二人に関しては不完全燃焼なんですけども。ドラマCDがあるらしいので、そっちで補完できるのかなー。

んで、革命の志士の方々。わりかし、目的のためには手段を選ばない人たちとして描かれていたので、どっちかいうと悪役なのかなと思ってたんですよ。んでも、そういうわけでもなくて。西田さんでしたっけ。この人がね、あまりにも真剣に世界を憂うとキチガイになっちゃうんだなっていう人で。なんつか、全体の幸福について真剣に考えすぎるとね、個人の幸せは全く無視されるんだなと。彼が特異なのは、全体に殉じて個人を無視した結果、彼自身の望みすら私欲として切り捨てたことだと思うですよ。一応、アメリカに一矢報いるという当座の目的は果たしたものの、アメリカの指導者が西田が思うほどバカじゃなかったせいで、彼の理想自体は叶うことなく潰えてしまうんですね。アメリカには勝ったけども。人類を進化という私欲から解き放ちたいという西田の計画は、アメリカが負けを認めたことで頓挫してしまった。そこで西田は、建前上勝利に沸いて戦争に走ろうとする同志たちを止めるためとはいえ、あっさり死んでしまうですよ。あれれ?とは思ったんですが、多分、仮想敵として心底侮蔑していたアメリカすら「進化」してしまったことで、自らの望みが100%叶わないと知ってしまったからなのかなあと。なんというか、自分の望みは遺伝子レベルで無理なんだと。
この辺、嵬をめぐる伝説の方ともリンクしてるんですが、嵬っていうのは進化しすぎてしまった異星人の末裔なんですね。本編だけでは色々抜けてるんですけど、生物として完全なものになろうとして、幸せを見失った者たち、だと思うんですが。その異星人のようにならないためには、ほどほどのところで進化をやめなきゃいけないんじゃないかみたいな思いが、物語の根底にあるのかなあと。
ヒトが社会の中での立場を離れて、人類全体として「完全」なものになる、というのはどういうことか。たとえば、不老不死。あるいは、憎しみや闘争心、その他ネガティブな感情から解き放たれること。あるいは、完全に満ち足りて、それ以上を欲しがらなくてすむこと。どう思います? ヒトという種が完全な状態ってどんなんだろう? 物語中の異星人は、個を失って空間に溶け、一応形らしきものは認められたものの、それは全て同じ形をしていました。それはどういう意味を表しているのか。自分は、ヒトが「私」を捨てることがすなわち、完全になるってことだっていう意味なんじゃないかと。「あなた」と「私」が違うから、そこに軋轢が生じる。「私」に足りないものを「あなた」が持っているから、そこに欲が生まれる。ならば、みんなが「私」になってしまえば、飢えることはないんじゃなかろうか、みたいな。
実際そうなってしまうとどうなるかというと、全ての思考・感情・表現活動は不要になるです。それらは全て、「あなた」と「私」が違うから必要だったもの。だから、みんなが同じになってしまえば、いらないんです。
でも、それって幸せなことなのかな?
人類の究極の願いが「完全になること」であるとして。そうなることが必ずしも幸福でないなら、進化なんてほどほどでやめないとね、というメッセージなのだろうか。うむ。
進化のために個が犠牲になる悲しみを描いた場面もいくつかあったしな。
グレンラガンのその先の話だよね。グレンラガンのテーマは「進化することなんてほんとは全然怖くない」(by華原朋美)でしたが、それはほんとうにめでたしなのかという。

なんか西田さんから話があさっての方向に行っちゃったw
いやーなんつか、朝っぱらからすげー難しいことをやってたんだなとw アメリカを仮想敵とする日本の革命なんて、そりゃまあ行く末は気になったけどリアルを通り越してなんだか思想的だったしなー。物語のリアリティを増すために嘘の周りにリアルなディティールをまぶすんじゃなくて、虚構を用いて現実の問題点をあぶりだす話なので、同じ問題意識を持つ人には絶賛されるだろうけど、そうじゃない人にはなんだかよく判らないんじゃないのかなあ。アメリカやっつけてカタルシスなのかと思ったら、アメリカもそんなにバカじゃなくて、物語としては肩透かしを食ったかもw 言いたいことはそこじゃないんだというのは伝わりましたが。

難しいことをいっぱい書いている風ですが、基本的にはTAに乗ってハァハァ言ってるユウシロウってばエロいとかそんなことばっかり考えて見てたわけで。(ぉぃ 多分オチは檜山さんかっこよかったー、ですw