ストロベリー・デカダン I・II

ストロベリー・デカダンI
ストロベリー・デカダンⅡ
キャスト:尾花沢兼次(子安武人)×小暮太郎(三木眞一郎)他

この話は原作未読を強調しておこうw 色々書いてますが、書いたときの正直な気持ちなので、そのままで。

三木さんご本人の推薦つか、泣いたとおっしゃってたので聴いてみました。

う、ううう。言ってもいいかな。

あれだけ丁寧に死にネタをやれば誰でも泣くわボケ!(ぉぃ

基本的に死にネタは嫌いです。死にネタで許せるのは木更津キャッツアイくらいです。そんなわけで忌避してたんですが、泣くほど熱演した三木さんを聴こうと思って手を出してみますた。
泣いたかって? そりゃ泣きましたよ。だって死んじゃうんだもん。太郎ちゃんには幼い一人息子がいて、その子が「もう泣いてもいいですか?」って言うんだもん。泣かいでか。
ああもう悔しい。ベッタベタの死にネタだって判ってて泣くのがすげー悔しいw
なので、死にネタ以外のところに注目しつつ。

太郎ちゃんは生い立ちのせいで「家庭」を欲していて、子どもを産んでくれる女性とめぐり逢うためだけに浮名を流している。元々生殖能力が弱いことを嘆いてもいる。んで、一人の女性が身ごもってくれたので結婚し、家庭を手に入れる。はかなげでかわいらしい見た目とは裏腹に結構エグいキャラです。「今まですべての女性を等しく愛してきた。けれど(子どもを身ごもった)柚以子は特別なんだ」という台詞は、「愛とはなんぞや?」と思わずつぶやきたくなります。
でもって、せっかく手に入れた「家庭」は、妻の病死であっさり失います。ここで、花ちゃんがクローズアップされてくるんですね。
いつもそばにいてくれた花ちゃんが、あれほど嫌いだったホモだったと気づいて断罪し、遠ざけたことでその大切さに気づくという過程はありますが、その前に、花ちゃんが太郎ちゃん家族に自然な感じで馴染んでるとこも注目です。太郎ちゃんが欲しがったのは揺るぎない愛であって、それは夫婦と子どもというつながり以外にないと思い込んでいたが故のジゴロ行動だったわけで。でも、一度結婚生活を体験してみて、定型に過度の憧れを抱く必要がなくなって。ようやく周りが見えたんじゃないのかな。「ずっと一緒にいる」ための装置が「家族」だったんだけど、本当にずっと一緒にいてくれる存在は誰なのか。それに気づいたと。
幸せなのは「家族」じゃなくて、本当に好きな人とずっと一緒にいること、という結論は、なかなかにエグい話だと思いますですよ。

先刻死にネタ嫌いと書きましたが、「永遠に愛し合う」ことを具現化するためには、わりと判りやすいんですね。今、ここで。幸せの絶頂で死ぬことは、その幸せが劣化するのを思い知らなくてもすむ方法。この先花ちゃんがどうなっちゃっても、太郎ちゃんはそれを知らずに済む。目いっぱい手にした幸せを抱いて、その後はナイので。最高級の「幸せ」をフリーズドライで手にしたようなもんです。逆に言えば、どんなに愛し合っていても、その愛は時がたてば絶頂期に比べて劣化するという絶望の表れでもあるわけで。なんというか、複雑な気持ちにはなるな。

太郎ちゃんの最期は花ちゃんと二人で。いやそのBL的には正しいのかもだが、おいおい一粒種を学校に追い出しちゃったよ!w すごーい、「家庭」が欲しくてヤりまくってた人だとは思えなーい。(ぉぃ 「本物の愛」の前では妻子は無用という結論にも見えて、あの頃のJUNE者の業を感じます。
死にネタがやたら丁寧なので隠れてますが、出しておきながらとことんスポイルされる妻やら母やらは、やっぱり業だよなーとか思ったりして。まだマシな方ですけどね。吉原理恵子作品から感じる女性憎悪はもっとえげつないです。おかんの伊楚子さんにしろ、恋敵の絢子さんにしろ、激しいけどかわいげのあるキャラだし。

声優さんはですね、三木さん大熱演です。じっくり死んでいく演技は聴き所ですよ、やはり。個人的には一枚目の、女性にとことん不誠実な太郎ちゃんが好きです。(ぉぃ 子安さんは全編通してあんまりトーンが変わらないのだな。でもこー、太郎ちゃんの全てを目撃してる花ちゃんは切ないな。ブックレットのインタビュで塩沢さんが何で伊楚子さんと結婚したのか判ってない風なのにちょっと吹いたw 駆け落ちまでした設定なのに(笑)ああいう激しい女性は好みじゃないんかしら。結構かわいいけどな、伊楚子さん。