ホーム・スウィート・ホーム(原作)

ホーム・スウィート・ホーム (Cross novels)
 
作:義月粧子

読みました。

全然違う話だったぁああ!

そして面白かった。なんだよー、らぶらぶじゃんかよーw アマゾンのCDのレビューと原作のレビューの評価が同じだったので、そういうもんかと思ってました。CDのレビューはこっち

まず、押さえておかなきゃいけないことは。
貴方が好きなことと貴方"だけ"が好きなこととは違うということ。
祐瑚は実際に他の男にも手を出してしまっているけれど、なんだろな、恋人がいても好きなアーティストやら役者やら、まあアニメキャラでも、もっと言うと人物ではなくて、のめりこんでいる仕事や趣味とかはあるじゃないですか。
恋人がいたからといって、その恋人で100%心が埋まるというわけでもない、というね。
祐瑚の場合、それが「人」だったというだけのこと。

この辺はもう、倫理観の問題というか、絶対に許せない人はいるのだと思う。「どこからが浮気か」はよく議論になるネタですが、湫の場合は、どこまでも浮気と思わないというか。浮気ならいい、という考えの持ち主ね。なんだろな、浮気する祐瑚も込みで好きというか。
湫は、すごくすごく兄を愛している。湫にとって兄は、嫌いな部分などないのだ。自分を傷つける無神経さも、友人たちが眉をひそめる傲慢さも、全部好き。それも兄だからという理由で、全部が許せてしまう。常識的には過ちでも、それが兄の意思によるものならば、それでいいと思っている。溺愛とはこのことだ。

この話が判りづらいというか、湫がなんだかかわいそうに見えるのは、湫は自分の心が兄100%でいいと思っているからだ。湫はそうだけれど、兄はそうじゃないから。ここが一致しないのは悲劇に見える。しかし、湫自身はそれを悲劇だと思ってはいない。これは湫の意思であって、兄やそのほかの人には関係がないのだ。他人がどうあれ、自分は兄100%だと、湫自身が決めたのだから。

んで、祐瑚はどんなヤツかというと。湫とは対照的に、自分100%の人だ。周囲がどう思おうと、いいものはいいのだし、好きなものは好き。湫のことも、そして和貴のことも、自分が好きだから好き。そこには取り繕った体裁も建前もなくて、ただただ自分に忠実で。だから、湫はそんな兄に憧れる。何しろ兄は自分自身からも自由だ。大事なことを「つい忘れてしまう」と祐瑚は言いますが、昨日の自分と今日の自分は違う人であって、状況が変われば感じ方は変わる。不誠実? そうじゃなくて。祐瑚は自分に嘘をつかないだけだ。
祐瑚に嘘がないから、友人は、呆れながらもついてくる。そして湫も、そんな兄が好きなのだ。

兄100%な湫の望みとはなんだろう。「僕は兄さんを愛することができるだけでいいんだ。兄さんが幸福でそして生きていてくれればそれでいい」というのが湫の言葉。この言葉を理解できるかどうかで、この話の評価は変わる。愛しているから、愛して欲しい、ではないのだ。こう告げて返ってきた祐瑚の愛は、湫にとっては副産物でしかない。湫の目指すもの。これは推測だけれど、それは兄との同化ではないだろうか。「ひとつになりたい」というよりは、「兄の一部になってしまいたい」。ひとつになりたい、だと、相互に影響しあう関係だけれど。その人の一部になりたい、だと、自分自身はなくなって相手そのものになる、という意味になる。
んでもって。祐瑚がどこで何をしようと、湫が気に病まないのは、自分が兄自身だからだ。体は別々だけれど、自分の意思は兄のもので。兄がしたいようにすることが、自分のしたいことで。兄が自分を気にかけないことを気にしないのは、自分の手足が普段何を考えているかなどと考えないのと同じこと。時々、寒かったり怪我したり。そういうときだけ、気づいてくれればいいのだ。

これが湫の意思だとするなら、祐瑚の湫の扱いはずっと、間違っていないことになる。
湫が傷つくことを気にかけるのは、湫に自分は祐瑚ではないと思い知らせる行為。湫に自分の意思をもつことを勧めるのも同じこと。そんなこと言わないで兄さん。僕は、兄さんのパーツだから。僕が痛がることで兄さんも痛いでしょう? だから僕、大丈夫だから。

さすが兄弟というかなんというか。祐瑚は無意識でそれを判っている。他人は自分と湫を別人と見るから、その扱いに苦情を言う。でも、湫は祐瑚の一部なのだ。それは比喩でもなんでもなく。神経までつながっているかのように祐瑚の意のままに動くことが、湫の望みなのだから。
祐瑚は自由に他人と寝るけれど湫にはそれを許さないのは、たとえば自分の手が知らない間に他人を愛撫してたら気味が悪いからだ。湫が自分以外と寝て激昂したのも、それが「兄」に触れるためだと知って許したのも、そのせい。湫を独占して大事にするのは、自分自身へのメンテみたいなものだ。

和貴はあくまでも他人だった。大好きなものだけど、自分の外側にあるもの。自分の外側にあるからこそ刺激的だし、望まなきゃ手に入らない。好きなものを手に入れるのはいつだって楽しい。
祐瑚が和貴を選ばなかったのは、和貴が湫を捨てろと言ったからだ。祐瑚自身も言っている。湫は自分の一部だと。もうくっついてしまっているものだから、切り離したら自分が欠けてしまう。比喩でなく。手足を失うのと同じ。
そして和貴は、自分の意志が強すぎて、湫の代わりにはなれない。
湫が欠けた穴には嵌らないのだ。
焦って、それを見抜けなかった和貴の負け。

色々あったけど、祐瑚と湫はらぶらぶなんですよ。紆余曲折を経て結ばれたのではなく、ずっとらぶらぶなの。湫は自信のなさから、祐瑚は迂闊さから、いっぱい間違えるけど。互いの想いが、揺らいだことは一度もないのだよ。

書いていいのか迷うところですが、CDはやはり、判ってない人が作ったのだなあと思います。大事な台詞や設定がたくさん抜けている。聴きたかったシーンが、じゃないスよ。祐瑚が自分の好きなようにすることそのものが湫の望みだという部分が、すっぽり抜けている。兄に振り回される湫に同情したから、祐瑚が悪いやつに聞こえる。湫はちっともかわいそうなんかじゃないのに。湫が和貴のことを知りたがる描写を削ることで、湫が兄と和貴の関係を歓迎していないように聞こえる。そして、祐瑚が和貴との関係を気に病んでいるような描写を加えることで、祐瑚の自由さが伝わらない。祐瑚は和貴も好きな自分のことを1ミリも気にしてはいない。祐瑚は和貴に引きずられているわけではなく、湫のために和貴の誘いを断ってもいる。そこを削ると、あくまで自分のしたいようにしているという、湫が祐瑚に憧れている部分が曇るのだ。
不思議なもので、中途半端に湫のことを気に病む祐瑚の描写を加えると、祐瑚がどんどんヤなやつになっていく。祐瑚が自分のしていることを気に病むから、その行動が「自由」から「自分勝手」になる。祐瑚はそういう常識の外にいるキャラなのだ。湫のことも和貴のことも、二人の優劣を比べることなく掛け値なしに好きだからこそ、祐瑚は魅力的だし、そして湫と祐瑚がらぶらぶだと伝わるのに。「それはそれ、これはこれ」。私自身がそう言われて納得できるかっつったら難しいわけですが(笑)、湫はそれが出来る子なのだ。

和貴との別れのシーンもなあ。祐瑚は湫を選んだから傷ついたんじゃなくて、大好きだった和貴にフラれたから傷ついたんだよ。そこに湫は関係ないのだ。ただただ、和貴との関係が終わってしまったから、悲しかっただけ。
その後湫をなじるのは、完全に八つ当たりw
お前、俺が悲しいのになんで平気なんだ、お前は俺の一部なクセに、という、無理やり言葉にすればこんな感じ。そこを湫のせいにしたかのような描写にしちゃったら、祐瑚ヤなやつじゃないか。ちょっと甘えたかっただけなのに。和貴との別れが湫には関係ないと思っているから、湫に慰めて欲しいと言ったのに。

「僕が兄さんを愛してることを兄さんが否定しない限り、僕が傷つくことはないよ」
ラストシーン近くの湫の台詞ですが、これが湫の強さなので。これ削っちゃうと、ただただ湫がかわいそうな話になっちゃうんだよなあ。

和貴に祐瑚以外の恋人がいたことと、そっちでうまくいかなかったから祐瑚を翻弄したこと、そしてそれを祐瑚が知って、和貴の幸せを願う話も、外して欲しくなかったなあ。

というわけで。CDと原作とは全然違う話です。原作は全員、自分のしたいようにしているだけです。すがすがしいほどに。常識的に考えちゃうとありえない関係ですが、ちゃんと全員幸せなのです。弱い人たちの話じゃなくて、常識を超えて逞しい人たちの話だった。
CDはCDで面白かったけど、どっちが好きかって言われると原作だなあ。。ちょっと残念な気持ち。原作読んでCDをもっと好きになれる、また、逆もしかり、がいいよねえ。私は、それがどんなことであれ、自分のしたいようにしている人が大好きなので、この話のキャラはみんな好きですw

あああ、まだなんかうまく説明できてない気がする。なんだろな、原作は、全員が心底納得してあの関係なんだよと、伝わってくれれば嬉しい限り。